卒業式の時期に思い出すこと

今年も桜が咲く季節になりました。

道を歩いていると、小学校や中学校で卒業式を行っている風景を目にします。卒業式と書かれた看板の前で写真を撮っている家族を見ると、ほほえましい気持ちになります。

 

きっと子供の成長を見れてうれしいような少し寂しいようなそんな気持ちなのだろうと想像します。こういう時、私も子供がいるといいのかなと考えたりします。

きっと子供がいて、自分の子供の卒業式に出たら、うれしいような寂しいようなで泣きたくなる気持ちになるんじゃないかな。

 

私の親はどうだったかなと考えていたら、私の親、特に母親は私の卒業式に来たことはなかったことを思い出しました。

母親は専業主婦でしたが、卒業式はおろか入学式にも、授業参観にも、三者面談にも来てくれませんでした。

母親のこと、当時は怖かったので、むしろ来ないことに安心したことを覚えています。

母親は何か気になることがあるとすぐ逆上してしまい、数日間手が付けられなくて大変でした。

 

「相談しあえる家族になりたい」と言っていた時期もありましたが、相談するとお前が悪いの一点張りになってしまうので、相談はできませんでした。

 

母のトラウマがいつか改善するといいのだけど。自分が直そうと思わなければ直せないから、まだ時間がかかるかな。

母や父のことは気になるけど、私は私の人生を歩んでいこうと思います。

宗教と故人への思いを考える初めてのお葬式

先日、お義姉さんの旦那さんのお葬式に出席しました。

 

私はエホバの証人二世なので、今まで祖父や祖母のお葬式すら出たことがなく、人生で初めての経験でした。

 

研究を続けているので、エホバの証人的にはお焼香はやらないと決めていました。

しかし、親族の思いを考えると、何か違う形でのお祈りをしてあげたいと思いました。故人を思ってお葬式を用意されているのに、合わせてあげられないことが申し訳なかったのです。

 

お義姉さんの旦那さんは5年前から寝たきりになっていたため、生前にお会いすることはありませんでした。

でも、お通夜で泣き、お葬式でも泣きました。故人の肌に触れたとき、寂しくて涙が溢れました。お義姉さんの挨拶で、故人が大好きだったという思いを感じ、また涙がこみ上げてきました。

 

お坊さんが語ってくれた、故人がお花に生まれ変わったという言葉に、少しだけ気持ちが楽になったように感じました。エホバの証人の教え的には、偽りの宗教だと言われるかもしれませんが、残された人の気持ちが少しでも楽になるなら、それは悪いことではないと思います。

 

私自身、親と疎遠になっているため、親が死んだときに連絡が来ないことを恐れています。

最期はちゃんとお葬式をしてあげたいと思いますが、宗教的な考えに従い、骨も残さず、お墓も作らないかもしれません。それでも、せめて燃やされる前に会えるといいなと思っています。

 

人生で初めてのお葬式でしたが、故人への思いやりや親族の想い、そして自分自身の未来について考えるきっかけとなりました。故人が安らかに眠ることを願い、心からお悔やみ申し上げます。

戦争がもたらした家族の歴史:私たち兄妹が受け継いだもの

今日は、私の母親が子供の頃に体験した出来事についてお話ししたいと思います。

私の祖父は、戦争時代に特攻隊のチームリーダーのような役割を務めた方でした。祖父は生きて帰ることができましたが、おそらく自分が死ねなかったことに罪悪感を感じていたのではないかと思われます。

この罪悪感が原因で、祖父は自分の子供である母親を厳しく育てることにしました。母親は褒められることが少なく、愛情不足に陥りました。

そのため、自己肯定感が低く、常に誰かに愛されたい・認められたいと感じていました。自分が否定されることに耐えられず、暴れることもありました。

母親は、人の上に立って誰にも否定されない状態になりたいと思っていましたが、結婚して共同生活をすると、自分の思い通りに事が運ぶことはできないことがわかりました。

子供ができると、ますます自分の思い通りにいかなくなり、激高して家庭内暴力を行うようになってしまいました。

このような家庭環境で育った私たち兄妹も、心に傷を負ってしまいました。

でも今は、私たちもそれぞれ自分の家庭を持ち、幸せに暮らしています。両親との関係は、遠くなりましたが、距離ができたことで穏やかな日々を送れています。

この話を通して、戦争は戦争経験者ではない人の人生にも大きな影響を与えることを知りました。同時にこのことを知ることで、母親に対しての私の憎しみは収まり、しかたないことだったんだと整理をつけることができました。